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日の出町の浜中さん夫婦が合唱人生に区切り 「ポエム」定期演奏会で

「懐かしく そして新しく~歌い継ぎたいハーモニー~」をテーマに定期演奏会開くアンサンブル・ポエム

「懐かしく そして新しく~歌い継ぎたいハーモニー~」をテーマに定期演奏会開くアンサンブル・ポエム

 日の出町の浜中勝さん・富子さん夫婦が6月14日、S&D秋川キララホール(あきる野市秋川1)で開催される「アンサンブル・ポエム」の第8回定期演奏会で最後のステージを飾る。同町に合唱の灯をともして60余年、合唱人生にひとまず区切りを付ける。

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 定期演奏会では、「懐かしく そして新しく~歌い継ぎたいハーモニー~」をテーマに、混声合唱組曲「心の四季」(髙田三郎)をはじめ「小ミサ曲第7番」(グノー)、「椰子(やし)の実」「浜辺の歌」「ほらね」などを披露する。 指揮は粂原裕介さん、ピアノは田島葉子さん。同町立大久野中学校音楽部がゲスト出演する。

 歌声喫茶がはやっていた1960(昭和35)年ごろ、勝さん宅に富子さんら6人ほどの若者が集まり、歌ったのが合唱人生の始まり。勝さんの妹の節子さんが指揮を執り、音叉(おんさ)でリズムを取り、歌った。その後、平井小学校の音楽室を借り練習に励み、合唱の面白さを知った。メンバーも徐々に増えていった。

 節子さんの縁でNHK東京児童合唱団の古橋富士雄さんを指導者として迎え、都の合唱コンクールにも挑戦。武蔵野公会堂で初の演奏会を開催するなどした。2人は青春時代のど真ん中にいた。ただ、男性団員は大学を卒業し、社会人になると仕事で忙しくなった。女性団員は適齢期を迎え家庭を持った。勝さん・富子さんも1968(昭和43)年に仲間の歌声に祝福され、結婚。団の継続は難しく、解散した。

 10年余りの時がたち、富子さんは母親たちで「女声合唱ふきのとう」につながる歌の集まりに参加。再び合唱のある生活が始まった。五日市町合唱祭に出演させてもらううちに、日の出町で合唱祭を開催したいとの思いが募り、同町合唱連盟を立ち上げ、1987(昭和62)年、日の出町公民館で「第1回日の出町合唱祭」を開催した。

 合唱祭の講師を依頼した辻正行さんから「女声合唱に5、6人男性が入れば混声合唱団ができるのでは」と言われ、同年10月、日の出混声合唱団が産声を上げた。団員は意欲あふれた21人。翌々年に第1回演奏会を秋川キララホールで開催し、成功を飾った。

 当時、秋川流域は合唱の盛んな地域になっていた。「秋川流域に文化の灯を」と、藤澤昌一さんらDIC(地域交流会)の後押しを受け、「秋川流域合唱祭」が毎年開催された。秋川の永田みや子さん、五日市の大場智子さん、藤堂元三郎さんらと共に富子さんは、その中心で活動した。

 1994(平成6)年8月、勝さんは秋川流域合唱祭が母体となり編成された「秋流混声合唱団」の団長として、総勢53人でハンガリーを演奏旅行。秋川流域合唱祭で生まれたオリジナルの「秋川の詩」を異国の地に響かせた。この演奏旅行で浜中さん夫婦は宝物となる出会いを果たす。「アンサンブル・ホーヴィラーグ」という小編成の合唱団だ。「合唱の原点は小編成のアンサンブルにあり」と確信。翌年、「アンサンブル・ポエム」の歩みが始まった。

 1996(平成8)年には2度目のハンガリー演奏旅行を成功させた。このとき、アドバイスをもらった指揮者の小林研一郎さんをはじめ、小林さんの紹介で「アンサンブル・ポエム」の指揮を執ってもらった富澤裕さん、指揮者の佐渡裕さん、バリトンの大沼徹さん、そして同町大久野出身でソプラノの迫田美帆さんら、「数えきれないほどの貴重な出会いは全て合唱のおかげ」だと言う。

 こうした人たちとの出会いに支えられ、求めたのは「生きる力になる音楽」。最後のステージで少しでも届けられればと2人して願う。「今後も上智大グリークラブOB合唱団は続けたい。それにホームコンサートを開きたい」と勝さん。「声楽の個人レッスンを続けたい」と富子さん。合唱人生の新たなステージが待っている。

 14時開演。チケットは1,000円。全席自由。

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