
福生の幸楽園(福生市熊川)で6月26日、小説家の谷津矢車さんが、「蔦屋重三郎は何者か」をテーマに史実をベースにして講演を行った。主催は青梅優法会で、会員20人が聴講した。
谷津さんが重三郎を主人公に「蔦屋」(文春文庫)を描いたのは11年前のこと。歴史資料に乏しく、その頃、蔦屋を取り上げた作品は少なかった。谷津さんは「江戸中期の出版界に彗星(すいせい)のごとく登場し、瞬く間に頂点にまで上り詰めた版元、それが重三郎」と、その生涯を紹介した。
1775年、地本問屋鱗形屋と付き合いのあった絵師や作家が蔦屋に移籍する。「その背景には蔦屋の吉原人脈があったのでは」と紹介。同年、当時人気の絵師を起用し、自ら吉原の女郎や店を紹介する雑誌「吉原細見」を版行するが、「情報が古く使えず、新たに情報をアップデートしたほか、江戸土産としても人気だったことに着目。挿絵を入れヒットさせた」とした。
1783年には、江戸の地本問屋の丸屋小兵衛の店を買い上げ日本橋通油町に進出。「業界の一丁目で、江戸の地本問屋が集まる激戦地。その頃、新人絵師、喜多川歌麿を起用。大田南畝、恋川春町らと付き合いを深めている。重三郎の商売は、鱗形屋から引き抜いた大作家を伸ばし、自分で見いだした新人を売り出すという計画的な事業展開だった」と解説した。
その後も天明狂歌ブームに乗り、狂歌本を売り出し、世相を描写した読み物の黄表紙、歌麿の美人画や東洲斎写楽の役者絵など人気作を連発した。
谷津さんは「重三郎に関する資料は本当に少ない。人となりも不明。さまざまな人が小説や演劇などで扱っているが、ほとんどが想像なので、創作話を面白がって読んでもらえたら作家としてうれしい限り」と締めくくった。
同会の小澤順一郎会長は「青梅出身の若手作家が活躍する姿が市民として誇りであり、うれしい」と今後の健筆に期待を寄せた。