江戸時代に青梅が尺八の聖地だったことの啓発に取り組む「青梅の尺八文化をつなぐ会」が11月16日、深編み笠に頭陀(ずだ)袋という虚無僧姿で行列を行う。時代劇さながらの行列は、当日市内で開催される「青梅宿アートフェスティバル」の一環。13時30分ごろから青梅駅、西分交差点、宗徳寺門前、乗願寺門前、勝沼ステージの順で回る。
同会は活動を初めて5年で、代表の岡本昌己さんら顧問を含め23人が所属。普段はそれぞれが入会している尺八の会などで稽古を重ね、技能向上に励む。イベントの際に集合し、虚無僧姿で行脚。啓発活動を行っている。
虚無僧は、中国唐時代の普化(ふけ)禅師を祖とする禅宗の一派、普化宗が始まり。編み笠、頭陀袋、わらじの姿で各地を巡る托鉢は南北朝時代から見られるようになった。江戸幕府は虚無僧になれるのは武士だけと定め、全国を通行できる自由を与える一方、隠密として諸藩の動きを探った者もあったといわれるが謎も多い。
江戸時代、全国の虚無僧寺は約120カ所を数え、青梅市新町にあった鈴法寺は根本道場として栄えた。だが、明治時代になると、、神道と仏教の分離を推し進める「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の中で、普化宗は禁止され、鈴法寺も廃寺となり、その後、焼失した。
80歳で最年長の加藤和生さんは尺八を始めて20年余り。「健康に良いし、音色が何とも言えず良い」と魅力を語る。
メンバーは、11月3日の「山梨県中央市ふるさとまつり」虚無僧行列にも参加する。式典が行われる乙黒明暗寺は鈴法寺と深い法縁があった寺だという。岡本さんは「尺八は世界に広がる可能性をもつ日本の文化。青梅のまちづくりや観光の柱になる事業を創出して次代につなげていきたい」と意気込む。