買う

多摩川の筏流しの全容を聞き書籍に-青梅市御岳の男性が本刊行

執筆した福島さん

執筆した福島さん

  • 0

  •  

 青梅市御岳の福島和夫さん(76)はこのほど、多摩川を川崎の六郷まで下る筏(いかだ)流しの全容をまとめた本「筏 多摩川最後の筏乗り 高野近太郎翁の聞き書き」を発刊した。

[広告]

 江戸の町の木材需要に応え、戦後まで勢いがあった青梅、奥多摩の林業。その木材の運搬に大きな役割を果たしたのが筏流しだった。この筏流しの全容を1人の筏乗りの証言からまとめた内容は、筏流しの歴史と当時の暮らしを伝える貴重な資料として完成した。

 A4判48ページで、筏の組み方や筏の種類、筏流しの工程と日数、川筋の難所、筏乗りの人数などが、1975(昭和50)年当時の高野さん(80年に85歳で逝去)の話を基に、郷土の歴史や事象をよく知る福島さんの知識を加え書かれている。

 青梅、奥多摩をはじめとする多摩の材木は、たびたび大火に見舞われた江戸のまちづくり、文明開化の明治期の発展、さらに関東大震災から戦後の復興期にかけても、その度大きな需要に応えてきた。そこに生まれる利益は地域経済の柱になってきた。

 代々続く筏乗りの家に生まれた高野さんは、学校を出るとすぐに筏乗りの見習いになった。理由の一つは給料が良かったからだ。「山仕事が1日20~25銭なのに、筏乗りは28銭~30銭で、若い娘にもてた」と明かしている。

 本ではこうした高野さんの記憶を基に、筏を組むことを「組く」といい、「組く」の場所を「土場」といったことや、傾斜のきつい山林での木材の搬出は、山腹の傾斜に沿ってそのまま木を落としたこと、筏は、長杉、角、水待ち、貫(ぬき)、竹の5種類あり、水待ちはケヤキやヒンキなど太くて大きな木の筏は重く、浅瀬を通れないので、増水を待って出す筏だったことなどが詳しく書かれている。

 福島さんの祖父は筏乗りで、家を建て直す祭りで見つかった祖父の愛用したおの(メドブチ)が縁となって、高野さんへの聞き書きが始まった。高野さんとは16分の1の筏の模型も作った。37年前のことだ。

 その作業には当時小学2年だった長男の祥浩ちゃんが一緒だった。そんなある日、交通事故で祥浩ちゃんは亡くなり、聞き書きは中断したままだったが、三十三回忌の法要を済ませ、鎮魂の思いを込めて本作りが再開した。

 福島さんは「内容は正確を期したつもりだが至らない点があるかもしれない。元青梅市史編纂(さん)委員の高野八郎さん、元教育長の宮崎延さん、郷土史研究家の渡辺友一郎さんら多くの人に支えられ本をまとめることができた」と感謝している。

 本は非売品。

エリア一覧
北海道・東北
関東
東京23区
東京・多摩
中部
近畿
中国・四国
九州
海外
セレクト
動画ニュース